深耕と開発
2000年代~2019(平成31・令和元)年
「円高」「海外移転」「グローバル化」など、会社を取り巻く環境は激しさを増すばかりです。過去から再三言い続けている「ゆでガエル」人間では生き残れません。新しい環境になっても素早く対応できる様に強靭な精神を育み荒波に立ち向かいましょう。
2011年12月『社長からのメッセージ』より
技術のモリオカに
テクニカルセンターの開設
時は遡り、中国での事業構築に奔走していた2000年代前半国内でもグローバル時代に対し危機感を募らせていた。国内外の事業において、コスト競争に巻き込まれないこと、そのためには事業に付加価値をつけること。それには、技術力の向上とその内製化が必要であった。そこから生まれたのが「テクニカルセンター」の設立構想である。クリーンブースの導入
1984(昭和59)年の北工場設立以降、真空成形の受注は順調に伸びていった。量産工場は稲沢市内に3拠点を構えるまでに成長し、設備はさらに充実しつつある。アセアン地域を結ぶ「ものづくり」
創業の地、恵州に戻った中国工場
2012(平成24)年、福永工場の稼働が少し安定してきたころ中国バブルの影響を受け、深圳地区の人件費や家賃が高騰しはじめた。今後を見据え、他都市への移転の検討をはじめた矢先敷地面積や建屋構造共に、申し分ない条件の空き工場に出会った。場所は「恵州市」、1996(平成8)年に初めて中国に進出したときの製造委託パートナー跡地の近くだった。宮森と蒙はこの場所に運命を感じ、約6年間過ごした福永を離れる決心をした。2013年 恵州工場として再スタート
日本発の「縫製工房ごえん」
恵州工場では、生地の選定から試作や量産、検証、そして日本への輸出までのシステムが確立されつつあった。一方で、お客さまの要望をすばやく形にするためには、日本国内での縫製品開発や生産体制を整える必要があった。そこで2017(平成29)年11月に名古屋の営業所の一角に設立されたのが、「縫製工房ごえん」である。裕子、留学経験をビジネスに活かす
2000年代後半、日本のメーカーの生産拠点の海外シフトが顕著となった。当グループのお客さまも例外ではなく、中国以外のアジア諸国への生産拠点の移行が進んだ。当グループとして生き残りを図るためには、積極的にアセアン地域に進出して行く必要があった。2017年 国内で「縫製工房ごえん」始動
タイへの進出
2012年12月、恵州への工場移転と並行し、タイのバンコクに現地法人Moripax(Thailand)Co.,Ltd.を設立した。目指すのはアセアン地域での販路拡大である。中国進出を積極的に進めていた大手企業は、人件費の高騰や政治的リスクの高まりに懸念を強め生産拠点を分散させる「チャイナプラスワン」を加速させていた。タイをはじめとするアセアン諸国が、次の投資先となっていたのである。Moripax(Thailand)が入居する
ビジネスセンター
海外ネットワークの拡充
タイでの事業を始めてまもなくさらなる海外展開のチャンスが訪れた。当グループが2006(平成18)年から定期的に配信しているメールマガジン『一期一会』がきっかけとなり、真空成形事業を営むマレーシアの企業と出会った。マレーシアでの事業は、現地法人のあるタイや中国とは異なって日本人の駐在員がおらず、日本語が通じない。書面のやりとりや話し合いは、すべて英語となる。メッセナゴヤ2013に出展
2018東京国際包装展(TOKYO PACK)に出展
2016年 来日した中国現地法人スタッフに対し、中国人社員を講師として研修を実施したー
第二の創業へ
町工場からの脱却
60年の歴史の中で、「お客さまの要望に応える」という信念を貫くために、当グループは、身の丈いっぱいの努力を続けてきた。しかし、高度経済成長を経てグローバル競争が繰り広げられる今当グループの課題も、さらに高度化・複雑化している。新社屋の建設
2018年8月、平和町工業団地に新社屋を建設することが決まった。これまで幾度となく、生産体制の拡大や充実を図る計画があったが工場の拡張は簡単に決断できることではなかった。2019(令和元)年秋、モリオカグループの未来を担う新社屋の建設が始まる(延床約1,000坪)。次世代のものづくりを支える、新設備や測定検査器も新たに備える。
平和町の風物詩「桜ネックレス」をのぞむ建設予定地