深耕と開発

2000年代~2019(平成31・令和元)年

「円高」「海外移転」「グローバル化」など、会社を取り巻く環境は激しさを増すばかりです。
過去から再三言い続けている「ゆでガエル」人間では生き残れません。新しい環境になっても素早く対応できる様に強靭な精神を育み荒波に立ち向かいましょう。
2011年12月『社長からのメッセージ』より

技術のモリオカに

テクニカルセンターの開設

 時は遡り、中国での事業構築に奔走していた2000年代前半国内でもグローバル時代に対し危機感を募らせていた。国内外の事業において、コスト競争に巻き込まれないこと、そのためには事業に付加価値をつけること。それには、技術力の向上とその内製化が必要であった。そこから生まれたのが「テクニカルセンター」の設立構想である。
 テクニカルセンターの原点は開発に挑戦したヒューマンコーポレーションの誕生にある。木型から金型技術を蓄積し、1990年代前半には最先端のツールであったCAD(Computer AidedDesigning)をいち早く導入し設計技術の強化に努めた。特にCAD の導入には、手書きでトレースしていた図面設計をデジタル化することで、時代の先端を歩むことができると、設計担当が約1年かけて社長を説得したエピソードが残っている。
 2004(平成16)年12月、こうして受け継がれてきた技術の集大成が、テクニカルセンターとして愛西市に具現化した。現在では設計や金型製造に加えて、量産工場での生産性や品質を担保するための試作や開発に取り組む体制も整えている。営業担当は、お客さまの要望に応えるよう、日々テクニカルセンターに足を運び試行錯誤を重ねている。

クリーンブースの導入

 1984(昭和59)年の北工場設立以降、真空成形の受注は順調に伸びていった。量産工場は稲沢市内に3拠点を構えるまでに成長し、設備はさらに充実しつつある。
 2000年代半ば、自動車や家電業界に加え、医療業界からの相談が増えてきた。お客さまから直接の指導教育を受け、2007(平成19)年にクリーンブースを設置し、医療業界の高い要求にも対応できる環境に整備した。
 立ち上げは決して順風満帆ではなかった。クリーンブースの立ち上げには、入社間もない若手社員も携わった。立ち上げ時の経験を活かし、医療用途に限らず、高まる梱包材に対する精度やクリーンさへの要求に応えるべく、クリーンブースは次なるステージに向かっている。
  • 国内でのISO の取得

アセアン地域を結ぶ「ものづくり」

創業の地、恵州に戻った中国工場

 2012(平成24)年、福永工場の稼働が少し安定してきたころ中国バブルの影響を受け、深圳地区の人件費や家賃が高騰しはじめた。今後を見据え、他都市への移転の検討をはじめた矢先敷地面積や建屋構造共に、申し分ない条件の空き工場に出会った。場所は「恵州市」、1996(平成8)年に初めて中国に進出したときの製造委託パートナー跡地の近くだった。宮森と蒙はこの場所に運命を感じ、約6年間過ごした福永を離れる決心をした。
 こうして2013(平成25)年4月企業形態も変えた「恵州市森岡実業発展有限公司」が、創業の地で新たなスタートを切った。恵州工場は縫製事業を主軸とし真空成形事業は現地パートナーと協業体制を築いている。
 縫製品の種類は、工業用途で使用される電子機器や家電のキャリングバックやケース、ポーチなどである。製造にあたってはアパレル分野では要求されないRoHS(有害物質使用制限)指令に基づく重金属等の管理が重要になる。そこで、重金属測定器や検針器などの検査器や開発室を設け、生地や部材調達、品質管理を徹底する環境を整備した。
 2018(平成30)年には、さらに厳しくなった重金属管理(RoHS2指令)に対応、クロマトグラフ分析による測定分析室を完備した。生地選定から検証まで厳しいチェック体制を敷いたことにより中国国内の顧客に加え、日本国内からの引き合いも増えている。
 また、これまでの縫製事業での経験を活かし、一般消費者向けに自社ブランド「LifePacer」を立ち上げ、中国国内向けにインターネットによる販売も開始した。「LifePacer」には、「人々のより良い生活に寄り添いたい」の思いが込められている。
 こうして恵州工場の売り上げは順調に伸び、2019(令和元)年現在は、アルバイトも含め約120人の体制で運営されている。
  • 2013年 恵州工場として再スタート

日本発の「縫製工房ごえん」

 恵州工場では、生地の選定から試作や量産、検証、そして日本への輸出までのシステムが確立されつつあった。一方で、お客さまの要望をすばやく形にするためには、日本国内での縫製品開発や生産体制を整える必要があった。そこで2017(平成29)年11月に名古屋の営業所の一角に設立されたのが、「縫製工房ごえん」である。
 立ち上げにあたっては、開発スタッフが、パートナー企業から縫製品製作の研修を受け、工業用ミシン1台を試行錯誤しながら動かした。恵州工場との研修や連携を図りながら、工業用ミシン4台とレーザー加工機を揃えていった。精密機器用のキャリングケースや家電用のセミハードケース、ポーチなど、多種にわたる工業用用途の縫製品の開発を手がける。
 こうして当グループは、日本国内での迅速な開発と中国での盤石の量産体制を整え、縫製事業の発展に向けて、新たな礎を築いた。

裕子、留学経験をビジネスに活かす

 2000年代後半、日本のメーカーの生産拠点の海外シフトが顕著となった。当グループのお客さまも例外ではなく、中国以外のアジア諸国への生産拠点の移行が進んだ。当グループとして生き残りを図るためには、積極的にアセアン地域に進出して行く必要があった。
 だが、「これ以上の海外展開がはたして可能だろうか」との不安もあった。ここで奮闘するのが2010(平成22)年に入社した正幸の長女、裕子である。大学時代留学先のイギリスで培った語学力や適応力、柔軟性を活かし、異文化でのビジネスで、その力を大いに発揮していくのだった。
  • 2017年 国内で「縫製工房ごえん」始動

タイへの進出

 2012年12月、恵州への工場移転と並行し、タイのバンコクに現地法人Moripax(Thailand)Co.,Ltd.を設立した。目指すのはアセアン地域での販路拡大である。中国進出を積極的に進めていた大手企業は、人件費の高騰や政治的リスクの高まりに懸念を強め生産拠点を分散させる「チャイナプラスワン」を加速させていた。タイをはじめとするアセアン諸国が、次の投資先となっていたのである。
 当グループでは、15年ほど前に自動車産業の発展を見越してタイで市場調査をおこなったが、中国とタイとの2つの現地法人の運営は難しいと判断した。しかし、国内市場の限界を鑑みたうえで、アセアン地域に拠点を持つことによる将来の可能性を考え、もう一度タイへの進出構想を描いた。
 こうしてタイの現地法人は、約10坪のバンコクのレンタルオフィスに、駐在員1名、現地スタッフ4名という陣容でスタートした。しかし、製造パートナーが少ないうえに見込み顧客がない、商習慣に馴染みがなく日本流の考え方が通用しない、そんなゼロからのスタートであった。会社設立の準備段階から関わった裕子も、駐在員と共に事業を立ち上げる難しさを味わった。
 そんな状況を一変させたのは長年の「ご縁」だった。日本国内で長く取引関係にあった企業がタイに新工場を建設することになった。また顧客企業の駐在員と日本での仕事で接点があったことが幸いし、その企業と二人三脚でのタイ展開が始まった。
 「紙一枚でも手配します」―お客さまからのどんな小さな要望にもすぐに応える姿勢は日本本社のモリオカグループと同じDNAである。そして、「郷に入れば郷に従え」の精神のもと、タイでの製造パートナーのネットワークを広げ、信頼関係を築いていった。タイへ進出して約7年目を迎え、日本からの設計・開発支援などを得ながら、確実にお客さまとの繋がりを広げていっている。
  • Moripax(Thailand)が入居する
    ビジネスセンター

海外ネットワークの拡充

 タイでの事業を始めてまもなくさらなる海外展開のチャンスが訪れた。当グループが2006(平成18)年から定期的に配信しているメールマガジン『一期一会』がきっかけとなり、真空成形事業を営むマレーシアの企業と出会った。マレーシアでの事業は、現地法人のあるタイや中国とは異なって日本人の駐在員がおらず、日本語が通じない。書面のやりとりや話し合いは、すべて英語となる。
 当グループとしてはハードルの高い環境であったが、海外の製造パートナーと協業体制を確立できれば、海外事業のさらなる展開そして次世代の生産体制に好ましい影響を与えることができる。
 1年以上かけて製造パートナーとしての信頼関係を育んだ結果2014(平成26)年、協業体制が整った。現在は、パ―トナーの拠点があるマレーシアやベトナムへの生産対応が可能となり、販路拡大に繋がっている。
 技術・製造スタッフにとっては異国のパートナーとの技術交流や人的交流は、技術力向上や視野を広げる良い機会となっている。そして何よりも、後継者となる娘が、営業や技術、製造スタッフを巻き込みながら事業を進めていることが、社長にとっても今後の海外展開において大きな財産となっている。
  • メッセナゴヤ2013に出展

  • 2018東京国際包装展(TOKYO PACK)に出展

  • 2016年 来日した中国現地法人スタッフに対し、中国人社員を講師として研修を実施したー

第二の創業へ

町工場からの脱却

 60年の歴史の中で、「お客さまの要望に応える」という信念を貫くために、当グループは、身の丈いっぱいの努力を続けてきた。しかし、高度経済成長を経てグローバル競争が繰り広げられる今当グループの課題も、さらに高度化・複雑化している。
 製造面では、自働化の進展により、製品に対しより高い精度を求められながらも、コスト競争力を高める必要がある。一方で、高齢化社会を迎え、働き方改革による労働人口減少への対応を迫られる。他方では、増え続ける自然災害などのリスク管理にも、備えなければならない。テクノロジーも凄まじい勢いで進化している。だからこそ、当グループに今必要なのは「自立」である。真空成形業界のパイオニアの座に慢心してはいけない。ライバル企業は、技術力やコスト競争力で実力をつけて追い上げてきている。
 先の見通しが不透明な中、従来通り、言われたとおりにものづくりをおこなっているだけでは勝ち残れない時代がすぐ目の前にある。技術力に誇りを持ちながらもコストや原価を強く意識し、常にベストの提案をする。その体制構築のためには、グループ全体のさらなる成長や固定観念からの脱却がカギとなろう。

新社屋の建設

 2018年8月、平和町工業団地に新社屋を建設することが決まった。これまで幾度となく、生産体制の拡大や充実を図る計画があったが工場の拡張は簡単に決断できることではなかった。
 40年以上、グループの舵取りをおこなってきた社長にとっても清水の舞台から飛び降りるほどの決断であった。しかし次世代に向けて、お客さまに安心してもらえるものづくりの環境を残すことは社長業としての集大成になるだろうと心を決めた。
 一方、バトンを受け取る裕子にとっては、この環境整備が事業を継承する第一歩となる。60年の歴史と、新しい挑戦との融合を叶える拠点の誕生である。奇しくも工業団地は、創業の地そして住田家のルーツである稲沢市平和町にある。そして新工場の完成予定は、2020(令和2)年夏、東京オリンピックと同じ時期である。
 当グループは時代の潮目に期待を背負って、創業80年、100年に向かって新たな一歩を踏み出していく。新元号「令和」と共に…。
  • 新社屋の建設

    2019(令和元)年秋、モリオカグループの未来を担う新社屋の建設が始まる(延床約1,000坪)。次世代のものづくりを支える、新設備や測定検査器も新たに備える。

    平和町の風物詩「桜ネックレス」をのぞむ建設予定地

創業期

詳しく見る

成長期

詳しく見る

展開期

詳しく見る

深耕と開発

詳しく見る